阪神・淡路大震災

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12月末に◯◯で声をかけた男性に、出来上がった写真を印刷し郵送した。するとその2日後にお礼の電話が入り「今から昼飯どう?」と急遽お誘いいただいた。集合場所は高級百貨店の一階。急いで正装に着替え、家を出た。

約束時間にその人は現れ、「予約した」という和食料理屋へとご案内いただいた。その日も最初に声をかけたときと変わらぬ見映えで、きちんと整えられた髪型とボタンダウンがよく似合っていた。昔から「耳たぶが大きい人は金持ちになる」と聞くが、その人のそれはものすごく大きく、「福耳とは」で画像検索すればこの人のが出てくるんかなぁなどとしょーもないことが頭をよぎった。

前回は写真を撮らせていただきすぐに別れたので、きちんとお話をするのはこれが初めてのこと。田舎から東京へ出てきたときの思い出や現在の仕事、「せがれ」、趣味、写真に至るまで、僕にも質問を交えながら、楽しい時間は過ぎていった。コース料理も終わりに近づき、さぁ次はデザートかなぁというタイミングで、その人は「今日は阪神・淡路大震災の日やね」と口にした。震災と言うと、僕は神戸出身であり、今でも小学校で習った『しあわせ運べるように』を歌うことができる。が、僕は95年の5月生まれで、震災のときは母親のお腹の中にいた。そのことをお伝えすると、男性は箸を止め黙り込み、数十秒間の沈黙の後に涙を流し始めた。たぶん「阪神・淡路大震災」とご自身で口にしたことで、そのときの記憶が一気に戻ったのか、一瞬僕の言葉は聞こえていない様にも見えた。

「『あのときに戻りたい。何もいらんから。あのときに戻りたい。子供も、家も全部なくなった。食べ物も、お金も何もいらんから、あのときに戻りたい』ってボランティアで被災地へ行ったときに、僕と同い年くらいの女の人が言ってて」
(大きくふーっと息をし、ハンカチで涙を拭く)
「あの人のことを思い出すとどうもやりきれん気持ちで。昨日までみんな一緒におったって。息子も一緒にテレビ見とったって。子供がリモコンで喧嘩するから怒ったんやて。そしたらもう会われへんねんて」
僕は返す言葉が見つからなくて、しばらく沈黙が続いた。店員がお茶を注ぎにきたので、その人はハンカチで涙を拭き姿勢を正した。ふーっと息を吐いて「ごめん。ごめん」と微笑んだので、僕も合わすようにして笑顔を作った。

そのあとは何気ない会話をし会計を済ませ、「また会いましょう」などと言って別れた。それから3日が経つが、ずーっとそのことが頭に残る。

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