猫と秘密基地

小学校に入ってすぐ、僕にはTという友達ができた。Tとは習い事のサッカーが同じで、家も近かった。毎日一緒に学校へ行き、帰り、遊び。行く駄菓子屋も、遊んだ公園も、大量に集めたキーホルダーも同じで、小学校や中学校を振り返ったときのほぼ全ての記憶に、Tがいる。

こんなことがあった。たしかあれは小学校高学年の話。休み時間に先生に呼び出され、「〇〇公園の近くに秘密基地をTと作ったやろ? この前の台風で、そこに置いとったもんが全部飛んで、『車に当たって傷がついた』ってご近所さんから通報があった」。

このへんの記憶がとても曖昧で、そのときTと二人で先生に怒られたのか、それとも一人だったのか、そしてそれを伝えた先生が誰だったのか、思い出せない。

ここでいう「秘密基地」とは、Tが住む団地近くの傾斜面に植えられた、目隠しようの木と木の間のスペースのことで、たしか二人一緒に入ると、そこはすぐパンパンになった。

結論から言うと、僕とTはそこで、子猫を飼うことになった。

Tが住む◯号棟には一人━オレンジに近いような茶色のパンチパーマで、歌舞伎の人がするそれみたいにおしろいを塗りたくった顔に、冬は虎の柄が入った服、夏は白ティーに首から手ぬぐい姿で、決まって乳首を浮かせママチャリを漕ぐ━ザ・関西のおばちゃんみたいな女性が居た。

その人はいつも近くのスーパー(サンマートか関スー)で猫缶を大量に買い、団地周辺で野良猫にエサをやった。おばちゃんが姿を現せば、野良猫たちはどこからか姿を現しなついた。それは数匹、というよりは、群れと言ってよかった。

Tは自分の家でも猫を飼っていて、猫が好き。僕はというと、お婆ちゃんの家でシェパードが飼われていたのに触れたくらいで、しかもそのシェパードが大きくて大きくて、まだ小さかった自分には恐怖でしかなく、動物は怖いものだった。

でもある日、またおばちゃんがいつものようにエサをやってるのを見ていると、そこに親猫に連れられてついてきた子猫が数匹いて、何がどうなってそうなったかは覚えていないが、次の記憶では僕はおばちゃんと会話していて、そこに居た子猫のうちの一匹を、「抱っこしてみ」と持たせてくれた。

自分の胸の前で、両手で抱えるようにして持った猫は、一つも汚れのない、新品の上履きみたいな白で、耳と耳の間にだけグレーの模様があって、とにかく小さくて、軽くて、少しでも押したり衝撃が加わったなら、簡単に死んでしまうと思った。

僕はもうその直後にTの暮らす◯階の窓に向かって大声で話しかけていて、二人の秘密基地でこの猫を飼おうと言った。Tもすぐ窓から顔を出し頷いてくれて、自分の家から猫缶を持って降りてきてくれた。

それから僕たちは、秘密基地をもっと広く、そして丈夫にしようと決めた。

とはいえ小学生だし、これは親にも内緒の基地づくり。

何かを新しく買うという発想はなく、近くのゴミ捨て場から使えそうなものをとにかく拾う。

まずは基地内で好き勝手伸びて、腕とかに当たると痛い木の枝を折り、草を抜いた。そしてその後、すぐ横のゴミ捨て場から、黄ばみがかったソファ、テレビ、ブルーシートなどを発見し、二人で協力して運んだ。(運も味方についたのか、偶然にもその週が粗大ゴミの回収日で、それはそれはなんでもあった)

話は脱線するが、僕が初めてエロ本を手にしたのもこのときで、その類の本も大量に捨てられていて、「あ、なんか悪いことしてる」と思いつつも、紐をほどき、数冊基地へ持ち込んだ。

運び終えると、基地から歩いて30歩くらいのところにある駄菓子屋に寄り、30円のチューチュータイプのジュースを買い、歯で容器に穴を開け飲んだ。

基地の近くにはTの住む家があり、サッカーができる公園があり、駄菓子屋もあり、なんでも揃うゴミ捨て場があり、そして今、飼うと決めた子猫もいるのだ。

そうだ、わしらの未来は明るいのだ!

とはいえ、仕上げとして、秘密基地全体を雨風から守ろうとブルーシートで覆ったために、気が付けば「秘密」どころか、遠目からでも「丸見え」で、逆に目立つ状態になった。でもそのときは、Tと猫と僕の三人にしか見えていない空間だと思って疑わなかったし、僕ら三人だけの「秘密」を持てたことが何より嬉しく、そして誇らしかった。

朝だって学校に行く前に基地へよったし、学校が終われば二人で子猫を見に行った。Tが放課後他の子と遊びに行ったなら、僕一人でも基地に行きエサをやった。

たぶんサンマートでお菓子以外のものを自分で買ったのもこのときが初めて。Tと遊ぶときはいつだってどちらかがサッカーボールを持参したが、そのときだけは、サッカーボールよりもうんと小さい、スポンジみたいに柔らかいボールを、家の倉庫から引っ張り出した。

でもそんな生活はたぶん10日ももたなかった。

台風が直撃して秘密基地をさらった。

わざわざ重たい思いをして運んだソファもテレビも、しっかり巻き付け固定できたはずのブルーシートも、綺麗に跡形もなくどっかへ飛んでった。肝心の子猫も、基地やその周辺を探し回ったが見つからなかった。残ったのは子猫を飼っていたダンボール箱の一部と、ふにゃふにゃで枝にひっかかっていたエロ本の数ページだった。

その後のこともあまり覚えておらず、次の記憶では、先生と一緒に秘密基地があった場所を確認しに行き、どこらへんにその傷のついた車が駐められていたか、説明を受けている。だがそのときも、Tが横にいて一緒に怒られたのか、この現場検証みたいなもので僕(たち)を指導したのは誰だったのか、全く思い出せない。

その記憶の曖昧さに、書いている今も捏造している部分があるのか、もしくは夢だったのか、と少し自分の記憶すら疑っている。

ただし、「もうこういうことはしない」と苦く心に残ったのは確かだ。

中学生になり、Tの家族は元住んでいた団地から歩いて10分くらいのところに引っ越した。

それでも中学は一緒だったので行けば顔を合わせたし、続けたサッカーも、同じクラブチームに所属した。

中三ではクラスも一緒になり、平日・土日に、朝から晩まで、「常一緒」みたいな状態だった。

ただし、どんだけ同じ時間を共有しようと、僕とTがあのことについて、あの後、話すことはなかった。

それは時間が経った今も、全く同じ。

Tが引っ越したくらいから、あの野良猫がなついたおばちゃんの姿も見かけなくなった。いやそれは、単純に僕たちも小学生から中学生へ変わったことで、前まで会えた時間にまだ学校にいたから、という理由かもしれない。

というかたぶんそれはそうで、年々増えてく野良猫の数や、家の周りに落ちてるうんこ、そして静まりかえった夜に響く、あの発情した猫たちの鳴き声を思うと、確実におばちゃんは健在で、エサをやっていた。

僕も、両親や兄貴、そしてご近所さんが愚痴るそれのように、野良猫の存在を「迷惑」に思うことすらあった。しかし、ふと見かけた猫が白色だったときには、「もしかして.....」と思い、後をついてくことをやめられなかったし、その度に、なんかうまく言えないけど、勇気みたいなものが湧いたり、「生きるっていいなー」的な、ちょっと口にすると照れ臭い、でも豊かな、気持ちになった。

15年ほど前に、たった10日ばかり一緒に過ごした、あの一匹の猫のことを、今も時々思う。

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